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2009年11月5日、バンコクに赴任しました。2011年9月1日、東京に戻りました。2013年10月1日、福岡に移住しました。

バリ島で2月14日に起きたダイビング事故。本当に残念だと思います。

第1報を聞いた時の私の印象は、少々不謹慎ながら「???宇宙人にでも連れ去られたか?」だった。要はそれくらい有り得ないことだと思った。一体、何が起これば、7人全員が行方不明なんて事態になるんだろうか???

続報では、インストラクターは、2人ともバリ島在住10年くらいのベテラン。客5人の内1名は日本のショップのインストラクター。残りの4人も50本以上の経験者という。さらに、続報では客の内3名は看護師で、客は日本で顔見知りのダイバーだという。つまり、もし仮に何かのトラブルが発生しても、トラブル対処能力のかなり高いパーティーだったはず。

私は一応、PADIのマスター・スキューバ・ダイバーです。レスキューとテクニカル1の講習も受けました。あ、Cカードを取ったのはバリ島です。バリでは何十回となく潜りました。今回事故があったレンボンガンでも何度も潜っています。

報道を見ていると誤解を生みかねない表現が目につくので少し書いておきます。まず、ボートの船長の「天候の急変でダイバーを見失った」という発言。ダイビングを知らない人は、“え゛~、見失われてしまうなんてとんでもないっ!ダイビングは怖い・・・”と思う人がいるかもしれません。でもそうじゃないんです。船長は、海中から浮かんでくるダイバーの出す気泡を見ながら、ダイバーを追うのですが、ダイバーを見失うことは良くあります。だって、海面に浮かんでくる気泡なんて、ちょっと波があったら見えませんって。だから浮上してダイバーの側から船を呼ぶことは良くあります。浮上時間になったら船の側も周囲をよく見てダイバーを探してます。もし、船から遠く離れたりして、船が見つけてくれなった時は、ダイバーはオレンジ色やなんかの縦長の風船(シグナルフロート)を膨らませて船に自分の位置を知らせます。だから、普通なら、船から見失われるのは問題ではない。

同じく船長の「天候が急変し、視界が10mになった」という発言もありました。10mはちょっと大げさな気がしますが、赤道直下ではバリ島に限らず、天気の急変は良くあること。ただし、視界10mの豪雨が半日も続くことはありません。雨が上がってから探せば良いんです。だから、普通なら、天気の急変も問題ではない。

現場が、「危険を伴うドリフトダイブが行われることが多い、上級者向けのポイントだった」という報道もありました。確かに現場は、流れのある場所で初心者向きではない。少なくともライセンスを持ってない人が体験ダイブをするような場所ではないでしょう(もちろん、体験ダイブでレンボンガンに行くようなショップはないです)。しかし、今回のパーティーは3人のインストラクターに4人の50本以上経験者ですから、それほど危険とは思えません。

しかしながら、事故が起こってしまったということは、必ず原因があります。船長は、見失ってから、燃料が無くなったため一旦港に帰ったとか、携帯も無線も持っていたのに使わなかったとか、警察に連絡したのは見失って3時間後等、また救助されたダイバーの“浮上した時に船のエンジン音が聞こえた”や“浮上した時にはスコールは降っていなかった”等の報道を見ると、今のところの印象では、ボートの船長の責任が大な気がします。未だ詳細が分からないので、これ以上の推測はしないでおきましょう。

もっとも、一切の推測をしなくとも、ボートダイブというのは、船に拾ってもらえなければ、ダイバーは漂流せざるを得ないケースが多いのは事実です。間違いない事実です。その点、ボートダイブでは、ダイバーは船(船長)に命を預けているという一面があるといっても良いかもしれません。もちろん、ダイバーが浮上したのに船に拾ってもらえなかったなんて事故はこれまでほとんどないはずですが。しかし、これまで有り得ないと思っていた事故が起こってしまったからには、今後何らかの対策が必要かもしれませんね。

1つ思うのは、今回、もしダイバーが携帯電話を持っていたら・・・ということ。最近のスマホなら、こちらから連絡しなくても自分の位置情報を伝えてくれるアプリがあるしね。ダイバーと船長が1台ずつスマホを持っておけば、浮上してダイバーの携帯が電波を捉えたと同時に船長の携帯にダイバーの位置情報が入る。2台のスマホがあれば、今すぐにでもこういう系が作れますよね。スマホ用防水ハウジングなんて既製品ではないでしょうが、水中カメラのハウジングを作るメーカーに頼めば、ワンオフで作ってくれるはず。今後はこういう対策が求められるかもしれませんね・・・。
福岡日日新聞社寄贈シリーズ1。
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タイトルは『福岡県女子専門学校 全景』。
左奥の黒い横長が寄宿舎、中央左の(一部がカットされた特徴的な)三角屋根が雨天体操場、中央右の三角屋根が講堂、右の黒い横長が本館。講堂と本館の間奥に白く見えている屋根が北側教室。手前に広大なグランドが広がります。

年代なんですが、『50年史』によると講堂が落成したのが大正14年(1925年)11月ですから、それ以降ということになります。また宛名面の体裁から昭和7年(1932年)以前ということも分かります。よって、この写真は大正14年(1925年)~昭和7年(1932年)の間ということになります。知っている人が見たら、もう少し年代を絞り込めるかもしれません。

この絵葉書、宛名面の下にこんなスタンプがあるんです↓
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福岡日日新聞というのは、今の西日本新聞の前身のようです。“寄贈”??? どこに寄贈したんだろうか? 新聞社が女専に寄贈したのだろうか? 他に情報がなく分からない。

ちなみに、手前に広がる広場、福岡県立図書館の古い地図(←クリックで図書館の地図サイトへ)を見ると、大正5年(1916)までは、どうも刑務所だったようです。女子大のすぐ前は刑務所跡か・・・