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2009年11月5日、バンコクに赴任しました。2011年9月1日、東京に戻りました。2013年10月1日、福岡に移住しました。
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今日、4歳児は自転車を買ってもらいました。
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予定ではですね、1年生の初代自転車に補助輪を付けて乗ってもらおうと思ってたんですよ。でも4歳児は、既に補助輪無しで乗れる。かと言って1年生の初代自転車の補助輪を外すと、つま先ツンツンになって、ちょっと無理。という事で、1年生の初代自転車より小さめのヤツを買いました! 補助輪無し自転車に乗るのが、4歳児は1年生に比べて1年くらい早いのかも。何しろ、お前、練習無しでいきなり補助輪無しの自転車に乗れたからなぁ・・・。4歳児の他のお友達にも、補助輪無しの子はいませんね。

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お前、4歳にして、自転車自由自在だなぁ・・・。

お前さ、昆虫研究者はヤメて、やっぱ、MotoGPとかスーパーバイクの選手になるのはどうだ???
こちらの続きですね。
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4歳児、今日も捕まえた。

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お前、昆虫に興味があるんだね・・・

バッタ捕まえ職人では、食って行けるかどうか?分かんないから、昆虫研究者はどうだ?
若干こちらの続きですね。

近所の公園にて。
4歳児、バッタの背後から、そ~っと近づいて、最後の瞬間にサッ!と素早く手を伸ばします。
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はい、捕まえた~。

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お前、4歳にしてその技術はスゴいよ・・・。お前、将来はバッタ捕まえ職人になるか?
久しぶりに古写真興味を刺激されたので、前から気になっていたネタを1つまとめておきます。あえて言うと、こちらの続きでしょうか。

雲仙温泉は歴史が古いので、今となっては検証されていない「ウワサ」のような物がたくさんあるんです。前回のチャーリー・ブラウンに続いて、この写真を検証しておきましょう。
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この大名行列のような写真(オリジナルは、長崎県歴史文化博物館蔵)、雲仙温泉に避暑に向かう西洋人、と説明されることがあります。私が調べた限りですが、この写真と雲仙温泉を結びつけたのは、『長崎県温泉誌II 小浜温泉』(長崎県衛生公害研究所、昭和63年)が、初めてです。この報告書では、どういうわけか何の説明もなく、ただこの写真が掲載されているだけなのです。しかし、この写真と雲仙温泉を結びつける要素は、実は今に至るまで何もありません。

この写真と雲仙温泉を結びつけるにあたって、先ず違和感があるのはですね・・・荷物多過ぎ! ^_^;) 明治期に雲仙温泉に避暑に来ていた西洋人が、食器やリネンまで持参した、という記録を読んだことはありますが、それにしても多過ぎでしょ・・・ ^_^;) これだけの荷物は、当時の(イヤ、今でも?)雲仙温泉のホテルの部屋に入りきらないでしょう。それに先頭に白いスーツを着た男がいますが、家族の姿が見えない。

また、この写真は、長崎県歴史文化博物館の解説によると、上野彦馬の作品とされています。上野彦馬による長崎市外の風景写真は、西南戦争従軍時の写真以外見たことが無い気がします。この写真、ホントに上野彦馬の撮影なの???

さらに、この写真は、古くは『日本写真史1840-1945』(平凡社、昭和46年)に収録されているのですが、この本でも「上野彦馬 明治初期」とあるだけで、他に一切の説明が無い。

最近でも『レンズが撮らえた幕末の写真師上野彦馬の世界』(山川出版、平成24年)に収録されていて、「明治10年頃撮影」とされているんですが、明治10年ってエジソンが電球を発明する前ですよ? ってことは、この写真に写ってる電柱は電信用ということになります。上海やウラジオと長崎を繋ぐ電信線は、こんな田舎を通らないだろうから、長崎局と東京の中央局をつなぐ線ってこと???

いずれにしても、この写真、場所はどこなのか? 年代は? 撮影者は本当に上野彦馬か? 本当に雲仙に向かっているのか?  何も分かっていなかったのです。

でもね、少なくとも場所は、ひょんなきっかけから分かりました。
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絵葉書です。
電柱の配置は異なりますが、奥に見える桜の木の配置が一致します。つまり、この写真は、長崎市内の今で言うところの本河内高部ダムです。という事はですよ、少なくともこの写真と雲仙温泉を結びつける要素は、やはり無いですね。

現時点で私が言える事は、世間のウワサに反して、この写真と雲仙温泉は無関係、という事だけです。この写真の撮影年代と、撮影者が上野彦馬なのか? は、私には分かりません。以下ヒントです。

長崎県の本河内高部ダムというのは、日本で最初期にできたダムの1つです。でね、ちょっと調べたら、本河内高部ダムの建造に当たっては、ウィリアム・K・バルトンが視察に来ているのです。バルトンは明治20年来日、内務省衛生局の顧問技師、東大の衛生工学特任講師、いわゆる「お雇い外国人」です。明治期のお雇い外国人なら、この大名行列も納得ですね。バルトンは明治22年、水道調査のため長崎に来ています。ついでに言うと、バルトンは、写真技術研究者兼写真家。

その後、本河内高部ダムの完成は、明治24年。

ということはですよ・・・この大名行列の人、バルトンその人の可能性はないですか? この写真、明治22年にバルトンが長崎にやってきて、「ココ、ダム造るのに最適だから写真撮っとくか、あっ、オレも入るよ」とか言いながら、撮った写真ではないでしょうか???

可能性は十分あると思います。バルトンの顔写真は残ってますし、長崎県歴史文化博物館蔵の上写真を高解像でスキャンすれば、上写真がバルトンかどうかは分かると思いますよ! 誰か調べません? って言うかさ、古写真研究においては、横浜と長崎では大きな差が付いてるから、長崎県歴史文化博物館には、こういう研究をやって欲しいんだけど?
こちらの続きです。
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何気なくFBにコメントしたところ、古写真研究者である高橋信一先生から、上写真は、明治20年代後半のファルサリ写真館の撮影であろう、とのコメントを頂きました。そうですか、ファルサリですか・・・私はてっきり、為政虎三もしくは金丸亦四郎の作品かと思っていました。ファルサリかぁ・・・考えもしなかったなぁ・・・。

ファルサリって、いつからいつまで日本にいたんだっけ? と思って検索してみたら、ファルサリが日本にいたのは、1873(明治6)年~1890(明治23)年ですかね? ただ、ファルサリ自身が日本を離れた後も、ファルサリ写真館は、1906(明治39)年までは、存続したみたいです。ということは、この写真が明治20年代後半だとすると、ファルサリが日本を離れた後の、ファルサリ写真館が撮影した物でしょうか? もしくは、ファルサリ自身が在日中に撮影したネガを、写真館が焼いて彩色して発売した写真という可能性もあるんでしょうか? ただ、この時代は、写真館間でネガの融通をしあう事もあったようで、頭の中で整理ができていません。

ファルサリねぇ・・・と思いながら、ウィキペディアの「アドルフォ・ファルサーリ」の項(こちら)を見たら・・・アレ?手元にある写真が載ってるじゃん!
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それが、この写真。
これって、ファルサリ写真館なの? ウィキペディアによると、1885(明治18)年とまで書かれている。その根拠は何だ??? 残念ながらウィキペディア本文には何も書かれていない。まぁ、ウィキペディアの情報は、根拠が無い限り、真に受けないのが吉。ちなみに、ウィキペディア掲載の写真よりも、手元の写真の方が、画角が広いです。キャプションは、「B 1123 NO. 9, 3 GIRL.」。

あぁ、思い出した。この写真を買った時は、キャプションがBで始まるから、何となく日下部金兵衛かなぁ・・・とか思ってたんだ(あれ? でも、いつだったか、金兵衛写真館のカタログは、ファイルで入手したよな?)。

あぁ、思い出した。この写真を買った時は、「No.9」って何だ? っと思って、ネット上で調べた結果、「No.9」は、Nectarineと判明したんだった。この場では詳細は省く ^_^;) 

あぁ、思い出した。この写真を買った時は、「3 GIRL」って・・・書くなら「3 GIRLS」だろ? と思ったものです。複数形の「s」を落とすのは、ネイティブにはあり得ないから、このキャプションを付けたのは、日本人なんだろうね・・・とか思ってたんだ。

う~ん・・・古写真研究に戻りたいんだが、今のところ、時間が無い(涙)。これも、もはや老後の楽しみなのかなぁ・・・もう、老後の楽しみが順番待ちだなぁ。「オレ」が10人くらいいないと、老後の楽しみを消化できないぞ・・・ -_-;)
気候変動の影響でしょう。
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干ばつで荒れ果てた大地。

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荒れ果てた大地を、必死に耕す親子。彼らは、この冬を乗り越えることが出来るのだろうか?

#イヤ、違いますよ、実家近くの田んぼで、泥団子作りですよ ^_^;)
豊後高田市にドライブ。
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ん? 何だコレ?

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あ! チコちゃんだっ!

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あっ! 案山子が農作業してる!
豊後高田市のこの辺は、案山子で売り出してるようです。

で、やって来ました、
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富貴寺。大分県の国宝ですよ!

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富貴寺大堂。
大変地味なので、予備知識0で行くと、「?」となってしまいがちです。しかし、大分県国東半島のこの山奥に、1000年前の平安建築が残っているというのは、大変貴重でしょう。六郷満山文化の一環として理解したい。

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京都以外で、オリジナルの平安建築が残ってるとこって・・・日本全国にいくつある??? これはやっぱり、大変貴重と思います、さすが国宝。

駐車場にて。
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4歳児、ショウリョウバッタを捕まえた! 4歳児、小動物を全く怖がらないんだよね・・・良い事だ!
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本日、1年生は、無事7歳児になれました。
1年後、無事に8歳児になれますように。
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今日は松山市出張です。

福岡⇔松山って、飛行機の便数が少ないから、今日は松山市到着から仕事まで時間がありました。
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よって、松山城訪問。

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私ね、今まで秘密にしてましたが、実は石垣マニアなんですよ。

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これは、切り込みハギですね。

一方・・・
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これは、打ち込みハギではないですか。
1つの城ですが、石を積んだ時代が異なるんでしょうね。

これは、切り込みハギですが・・
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こういう切り欠きの仕方って、どうなの? これが作業的に効率的だったの??? 
日本ってね、実は結構、巨石文明だと思いますよ。大阪城の巨石なんて、イッっちゃってる西洋人が、宇宙人の仕業だっ!と主張しても良いくらいの巨石だと思います。こういう観点から石垣を見ると、マチュピチュは究極的な切り込みハギなんですが、想像を絶する手間ですよ。マチュピチュ、また行きたいなぁ・・・。

さて、今回は天守閣にも入りました。江戸時代の天守閣が残ってるお城って、日本国内にもそんなに無いでしょ? 全10城くらい?
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天守閣内、階段がめちゃくちゃ急です。バリアフリーの真逆を行く感じ。
これは、一番短い階段ですが、もっと長い階段がいっぱいありました。こりゃ、お年寄りのみならず、キツいと思いますね。また、背の高い西洋人は、階段の途中で頭をぶつけるんじゃない?と思う梁がけっこうありました。まぁ、考えてみたら、天守閣ってのは、完全戦闘用施設だから、当たり前か。

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天守閣の最上階は、これくらいの小さな部屋です。
天守閣とは、完全戦闘用施設なので、お殿様が寝泊まりしてたわけではありません。この点、結構勘違いしてる人が多いんですよね。ボランティア解説者によると、天守閣にはトイレすら無いんだそうですよ!
こちらの続きです。
出張のお土産は・・・
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黒豚味噌。
一緒に出張に行った福岡県人が大絶賛の黒豚味噌。ご飯に乗せるだけで、ご飯がいくらでも食べられるのだと言う。それって・・・デブにとっては、「悪」じゃないか? ^_^;) 私は知らなかったので買ってみました。黒豚のミンチを味噌と共に炒めたのかと思いきや・・・どうも黒豚の細切れが入っているようです。食べてみて、まぁ、人気なのは納得。ご飯に乗せるのはもちろん、汎用性の高い調味料としても使えますね。ただ、個人的にはちょっと甘すぎ。南の人は、甘いの好きですからね。極論すると、オレは、フンドーキンの粒もろみで良いや ^_^;)

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フリーズドライの鶏飯。
出張各地でお土産を買う際、家で仕事をする家人のお昼ご飯になるかなぁ・・・? というのは1つのポイントです。これは、ご飯に乗せてお湯をかけるだけで良いらしい。

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まぁ、5食で1,000円だから、こんなに豪華なことは無かろう、とは思うんです。右下に小さく「写真はイメージです」って書いてるしね。

実際は・・・
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イメージと落差あり過ぎだろっ! ^_^;)

ここまで差があっても、商品掲示法には引っかからないのかね? まぁ、日本人は、見本と実物の落差には慣れてますが、外国人にはどう映るだろう???