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2009年11月5日、バンコクに赴任しました。2011年9月1日、東京に戻りました。2013年10月1日、福岡に移住しました。
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久しぶりに古写真興味を刺激されたので、前から気になっていたネタを1つまとめておきます。あえて言うと、こちらの続きでしょうか。

雲仙温泉は歴史が古いので、今となっては検証されていない「ウワサ」のような物がたくさんあるんです。前回のチャーリー・ブラウンに続いて、この写真を検証しておきましょう。
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この大名行列のような写真(オリジナルは、長崎県歴史文化博物館蔵)、雲仙温泉に避暑に向かう西洋人、と説明されることがあります。私が調べた限りですが、この写真と雲仙温泉を結びつけたのは、『長崎県温泉誌II 小浜温泉』(長崎県衛生公害研究所、昭和63年)が、初めてです。この報告書では、どういうわけか何の説明もなく、ただこの写真が掲載されているだけなのです。しかし、この写真と雲仙温泉を結びつける要素は、実は今に至るまで何もありません。

この写真と雲仙温泉を結びつけるにあたって、先ず違和感があるのはですね・・・荷物多過ぎ! ^_^;) 明治期に雲仙温泉に避暑に来ていた西洋人が、食器やリネンまで持参した、という記録を読んだことはありますが、それにしても多過ぎでしょ・・・ ^_^;) これだけの荷物は、当時の(イヤ、今でも?)雲仙温泉のホテルの部屋に入りきらないでしょう。それに先頭に白いスーツを着た男がいますが、家族の姿が見えない。

また、この写真は、長崎県歴史文化博物館の解説によると、上野彦馬の作品とされています。上野彦馬による長崎市外の風景写真は、西南戦争従軍時の写真以外見たことが無い気がします。この写真、ホントに上野彦馬の撮影なの???

さらに、この写真は、古くは『日本写真史1840-1945』(平凡社、昭和46年)に収録されているのですが、この本でも「上野彦馬 明治初期」とあるだけで、他に一切の説明が無い。

最近でも『レンズが撮らえた幕末の写真師上野彦馬の世界』(山川出版、平成24年)に収録されていて、「明治10年頃撮影」とされているんですが、明治10年ってエジソンが電球を発明する前ですよ? ってことは、この写真に写ってる電柱は電信用ということになります。上海やウラジオと長崎を繋ぐ電信線は、こんな田舎を通らないだろうから、長崎局と東京の中央局をつなぐ線ってこと???

いずれにしても、この写真、場所はどこなのか? 年代は? 撮影者は本当に上野彦馬か? 本当に雲仙に向かっているのか?  何も分かっていなかったのです。

でもね、少なくとも場所は、ひょんなきっかけから分かりました。
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絵葉書です。
電柱の配置は異なりますが、奥に見える桜の木の配置が一致します。つまり、この写真は、長崎市内の今で言うところの本河内高部ダムです。という事はですよ、少なくともこの写真と雲仙温泉を結びつける要素は、やはり無いですね。

現時点で私が言える事は、世間のウワサに反して、この写真と雲仙温泉は無関係、という事だけです。この写真の撮影年代と、撮影者が上野彦馬なのか? は、私には分かりません。以下ヒントです。

長崎県の本河内高部ダムというのは、日本で最初期にできたダムの1つです。でね、ちょっと調べたら、本河内高部ダムの建造に当たっては、ウィリアム・K・バルトンが視察に来ているのです。バルトンは明治20年来日、内務省衛生局の顧問技師、東大の衛生工学特任講師、いわゆる「お雇い外国人」です。明治期のお雇い外国人なら、この大名行列も納得ですね。バルトンは明治22年、水道調査のため長崎に来ています。ついでに言うと、バルトンは、写真技術研究者兼写真家。

その後、本河内高部ダムの完成は、明治24年。

ということはですよ・・・この大名行列の人、バルトンその人の可能性はないですか? この写真、明治22年にバルトンが長崎にやってきて、「ココ、ダム造るのに最適だから写真撮っとくか、あっ、オレも入るよ」とか言いながら、撮った写真ではないでしょうか???

可能性は十分あると思います。バルトンの顔写真は残ってますし、長崎県歴史文化博物館蔵の上写真を高解像でスキャンすれば、上写真がバルトンかどうかは分かると思いますよ! 誰か調べません? って言うかさ、古写真研究においては、横浜と長崎では大きな差が付いてるから、長崎県歴史文化博物館には、こういう研究をやって欲しいんだけど?