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2009年11月5日、バンコクに赴任しました。2011年9月1日、東京に戻りました。2013年10月1日、福岡に移住しました。
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4月15-17日の2泊3日は、雲仙温泉で過ごしました。つまり、16日の夜中のマグニチュード7.3は、雲仙の小地獄で体験したのです。幸い雲仙温泉では被害はありませんでした。ただ、ちょっと稀有な体験をしたなぁ・・・と思うのです。というのは、明治22年熊本地震のエピソードを思い出したからです。

「明治22年熊本地震」というのをご存知でしょうか? 明治22年7月28日に熊本市を震源として発生したマグニチュード6.3の地震です。ウィキペディアだとこちら。国立科学博物館のウェブサイトはこちら

この地震が起きた時、雲仙温泉の下田ホテルに滞在していた西洋人の手記が残っています。
地震
オーストラリアのブリスベンで発行されていた『Telegraph』という新聞の11月23日付け(冒頭部分のみ)。

8月17日付けの『Shanghai Mercury』を引用する形で、地震発生当時の雲仙温泉の様子をかなり詳しく伝えています。これによると、計3回の大きな揺れがあったこと、(西洋人にとっては)かなり大きな揺れであったこと等が分かります。ただし、「日本人は、それほど取り乱していないし、恐ろしがっているようにも見えなかった」としています。しかしながら、「特に女性達が非常に怖がったので、我々は全員(当時、下田ホテルに宿泊していた西洋人全員と思われます)山を降りて長崎に向かうことにした」というのです。

それなりに揺れたことが推測されますが、「日本人は特に取り乱してもいないし、怖ろしがっているようにも見えなかった」にもかかわらず、西洋人が雲仙から避難してしまったのは、つまり、地震に慣れている日本人にとっては、それほどの揺れではなかったが、地震に慣れていない西洋人(特に女性)は、大変恐ろしい思いをした、ということが推測されます。

そして雲仙温泉で風評被害が起こります。
プレゼンテーション2
明治22年8月の『The Rising Sun and Nagasaki Express』掲載された広告。

上を要約するなら、「今回の地震で下田ホテルが深刻な被害を受けたという噂が広がっているが、それは間違いであり、ホテルに全く被害は無く、通常通り営業を続けている」。地震の発生が7月28日で、8月6日のサインで広告を出しているので、地震の直後に長崎では、雲仙の被害はひどいらしい、という噂が広がったらしいことが分かります。

そして地震の2ヵ月後の9月28日には、上海で発行されていた『ノース・チャイナ・ヘラルド』に「Unzen and Round About It」と題するコラムが掲載されるのです。
プレゼンテーション1
「Unzen and Round About It」と題するコラム(冒頭部分のみ)、9月28日付『ノース・チャイナ・ヘラルド』紙。

このコラムによると、冒頭の段落にこんな記述があるのです。「明治22年熊本地震は、上海で非常に誇張されて伝えられている。雲仙において実質的な被害はないにもかかわらず、雲仙のホテルは倒壊し、深刻な被害を受けている、という噂が広がった。そのため、上海では雲仙は危険な場所であるという認識が広まり、雲仙行きを取りやめた者もいる。」 その後、雲仙の温泉や山の素晴らしさを紹介した後で、最後の段で「私は、最近の修理跡がないか、下田ホテルを注意深く調べてみたが、そのような跡は全く見つからなかった。下田ホテルの建物は全く健全であり、堅固であった。地震は、旅行者を警戒させたが、実際のところ、ホテルには地震による影響は全く無い。」  「壁に若干のヒビは見られるが、これは漆喰の乾燥によるもので、このヒビは長崎の建物にも普通に見られる。」 

要するに、雲仙温泉に被害が無いことを非常に強調しているのです。ちょっと不自然に感じるくらいです。その上で、雲仙の温泉・地獄・山の素晴らしさ、そして何よりも人々のホスピタリティの素晴らしいことを伝えています。

『ノース・チャイナ・ヘラルド』社および「Unzen and Round About It」を執筆した記者と、当時の雲仙温泉に何らかの経済的な関係があったのか?は分かりません。しかし、少なくとも執筆した記者には、雲仙温泉の風評被害を払拭し、雲仙温泉に上海からの観光客を呼び込みたい、という意図があったのは明らかと思います。

そして、このコラムこそが、現在では、上海の西洋人社会において雲仙温泉が広く知られるきっかけとなったと言われている新聞記事なのです。つまり、130年後の現在では、海外で雲仙温泉が広く知られるきっかけとなったと言われている新聞記事は、実は、明治22年熊本地震による風評被害払拭のために書かれたものである可能性が非常に高いと思うのです。

風評被害との戦いは、昔も今も「雲仙温泉の一部」なのかもしれません。

ウチは・・・そうだね、次はミヤマキリシマが咲いたら、また雲仙温泉に行こう。 ミヤマキリシマの時期の宝原園地や仁田峠の素晴らしさは、おそらく家人も見たことがないはずだから。
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