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2009年11月5日、バンコクに赴任しました。2011年9月1日、東京に戻りました。2013年10月1日、福岡に移住しました。
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今まで書かなかったんで、勘違いしてる人がいるかもしれませんので。これまで紹介してきた明治期の鶏卵紙プリントって、これくらいの大きさなんですよ、
IMG_2566.jpg
A4と同じくらいです。この当時はプリントのサイズとネガのサイズが同じです。当時のガラス板の粒状性がどれくらいだったのか?知りませんが、何しろこのサイズの巨大なネガですから、オリジナルプリントは極めて解像度が高いんです。

さて、かなり以前のこちらの続き。あ、もう一回同じ写真を上げておきましょう。
k063ed.jpg ←クリックで拡大
橋の下で「師匠と弟子」(仮)は、一体何をやっているんだろうか? という疑問は依然解けません。って言うか、あんまり解く気もないんだけどね ^_^;) この写真ね、今見直すと、やっぱ特異ですわ。この人物の配し方は、他に無いように思います。それに極めて自然で精緻な彩色。非常に質が高いと思いますね。長崎の「800番台シリーズ」って、他にあるんだろうか? もしあるなら、ぜひ見てみたい。

で、絵柄なんですけど、この写真、これだけ見ると、何やら相当田舎に見えますよね? かなり山間の渓谷のようにも見えませんか? この橋、大手橋は今や新大工町の商店街入口なんですが、この「師匠と弟子」(仮)が作業(?)をしてた頃のこの橋の上の風景が気になりません?

では、橋の上に登ってみましょう。
k022ed.jpg
ありゃ! 渓谷どころか、結構人通りの多い街中じゃん! これが、当時の大手橋周辺の風景。画質が限界なので、引いてみましょう。

k022.jpg ←クリックで拡大
これが全体像。真ん中に小さく大手橋が写っています。そこを拡大したのが、一つ上の写真というわけ。この写真を撮った人の左後ろに諏訪神社の鳥居があります。この写真の奥、大手橋を渡った向こうが今の新大工町の商店街ですよ。

いや~、この写真は面白いね。道路は石畳舗装です。人力車の便を考えてのことでしょうか。良く見てもかなり路面が平らなんだけど、これって、下の地面を平らにして同じ厚さの石を敷き詰めるの? だとしたら同じ厚さの石を量産するのって大変な作業だよね? それとも地面は適当にならして地面の凸凹に合わせて上の石の厚さを調整するの??? いずれにしても大変な作業だと思いますね・・・。現在の途上国の道路工事は、これを見習ってほしいよ ^_^;)

新大工町って、大工が集まって住んだ町って意味でしょ? 右の方には、何やら大工関連道具を並べている店のようにも見えます。

キャプションは「No. 465 MAIN ST. NAGASAKI.」。玉村康三郎スタジオの作品と思われれます。長崎大学のデータベースには目録番号5638(←クリックでデータベースに飛びます)で良く似た写真が登録されています。長崎大学の目録番号5638に見られる水道栓が、上写真では無いように見えるので、明治24年以前の撮影かもしれません。

この通りを当時の長崎の「メイン・ストリート」と言って良いのかどうか?良く分かりませんが、いずれにしてもそこそこ開けた人通りの多い通りだったことが分かります。そんな場所の橋の下で「師匠と弟子」(仮)は、一体何やってたんだろう・・・・・・? (結局、ココに戻ってくる ^_^;)
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